覚書き

陽太のブログ

恨みについて

 恨みという感情を抱いたことの無い人は滅多に居ないのではないか。かくいう私も10代後半に恨みの深紅に沈んでいた時期がある。それは、私の理想とする人が破廉恥な事件を起こしたというのを、私の大切な人から聴いたことがきっかけである。(尚、高校時代のことではない)
 今思えば、真犯人は私の理想の人ではなく私の大切な人だったわけだが、信頼していた人から裏切られたと思ってしまう無知と偏見から人は簡単に逃れることは出来ない。それは、私にとってその人が神や仏に等しい存在に思えていたからだと思う。しかし、その人は神でも仏でもなく、血の通った生身の人間だ。

 

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母なる大地よ

 本日、とある古民家でのコンサートにお客さんとして訪ねた。東京芸術大学のご出身の方々の重唱を聞きに行くためにであった。

 お盆が過ぎたとはいえ、まだ真夏の最中であるからに、私は額に汗を滲ませていた。

 

 夏に因んだ有名な唱歌などを沢山聴かせてもらった。

 また、お話も幾つか聴かせてもらい、小学校などの校歌などは結構、有名人が作詞したものが多いということ。現在の私のお仕事で関わる小学校の校歌も、あの方が、というような人が作詞されていたので驚いた。

 

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小さな物事を大切にする

嗚呼、私は何を無駄にしてこれまで生きてきたのだろうか。

軽微なストレスの積み重ねは、気づかぬ内に自身の生命に対し、重大なストレスをもたらしてしまう。
『塵も積もれば山となる』とはよく言うもので、それをお金に例えてみれば次のようになる。

  • 正月元旦から毎日毎日、500円玉あるいは500円分の小銭を蓋の開かない貯金箱(他人)に入れ続ける1年間。
  • 年末、182,500円を現金で手渡しされる大晦日。

前者と後者なら、どちらが驚きが大きいかというと、後者ではなかろうか。
いきなり見ず知らずの人から、「プレゼントです!」と言われて、182,500円を現金で渡されたとする。
普通なら、「いやいやいや・・・・・・、結構ですよ!」となるものだが、実はこの後者のケースは前者のケースとその金額は同じなのだ。
前者は、500円×365日=182,500円/年なのである。

お金で例えるのも嫌らしいものだと思う人も多いかも知れないが、きっとストレスだって同じだ。

  • 正月元旦から毎日毎日、嫌みや愚痴などの小言をある他人から言われ続ける1年間。
  • 年末、見ず知らずの365人から一斉に罵声と非難を浴びせられる大晦日。

後者はどう考えても、そのストレスは尋常ではないと思う出来事だ。
こんな経験をする人はまず居ないだろうし、居たとすればそれは政治家くらいではなかろうか?(まるで国会前のデモのように)
一方で、前者はある一人の他人から、毎日365日、モラハラを受けるというような状態である。
一見、これは受け流せる大したことのないようなものに思えるし、寧ろ他人なのだから無視したり相手にしないことも十分に出来る。
しかし、これが身内だったり親しい関係の人、それは職場の同僚や上司だったらどうだろう?
無視したり相手にしないことは実に難しいのではないか?

このように、『塵も積もれば山となる』という視点を持つことは、セルフケアの観点からいってもとても重要なことだ。
そういう軽微なストレスの積み重ねは、もしかしたら莫大なストレスを一瞬で浴びるよりも、より陰湿で深い傷、それは「心の低温やけど」のようなものを自身に刻んでしまうことになるのではないか?
であるからに、寧ろ莫大な一瞬のストレスを避けようとするよりも、軽微な継続的ストレスを避けようとすることの方が、長い人生においてはメリットがあるかもしれない。
最初に述べた、500円貯金の例や普段からの地道な取り組みや習慣が、大きな物事へと変化し成長するという、小さな物事の積み重ねがやがては大きな物事へと変化するという、この当たり前の法則を理解しておくことは有意義だと思う。

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学生時代だって振り返ってみれば、こつこつと地道に勉学に励み続けてきた人々には、決して学業成績で上廻ることは無いのだと知れば、兎と亀ではないが、やはり善きことも悪しいことも『継続は力なり』、これ即ち習慣というものは魅力的かつ恐ろしいものであると言えるだろう。

どうせ軽微なストレスを抱えなければならない人間関係に居るとするならば、そこから毎日毎日、軽微なヒーリングを積み重ねる習慣も大切かもしれない。
セルフケアの視点を持つならば、どんな人間関係やストレスの中でもやってゆけるだけの強靱な精神と肉体を保持することは、習慣というものだけが人間を善くも悪くも怪物へと変化させてくれるのだと思うのである。