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覚書き

小林陽太のブログ

TOBACCO

煙草のお話。

 

先日、金欠のため煙草を買えず、ニコチン依存症の禁断症状が出ていた私。

実に格好が良くないものだが、約2日という短い禁煙生活を送ってみた。

 

初日はとにかくソワソワと禁断症状が出ていて、手が震える・・・・・・。

そのような中で、水とオートミールを常食として過ごす。

 

次の日、禁断症状は収まったにも関わらず、頭の中は煙草を吸いたいという考えが3分に1回くらいは出てしまい、気を紛らすのに精一杯。

取り敢えず、部屋の片付けの続きでもしよう、そうしよう・・・・・・。

 

煙草を覚えたのは、18の時だった。

某居酒屋でその頃バイトをしていて、その時に先輩との付き合いで覚えてしまったのである。

まぁ私は莫迦なので、そのバイト先では理不尽な扱いばかり受けたけども、取り敢えず夏休みは23万円くらい1ヶ月で稼いだ覚えがある。

自分でアパート借りて、夏休みは実家に帰らず、荒んだ生活をしていた。

夏休みが終わって学校が始まってもバイトしていて、留年の危機に。。。

 

当時は、散々な生活を送っていた頃だったと思う。

バイトで小金には恵まれていたから、パーリャメントなんか吸っていた記憶があるが、後に付き合っていた女の関係でセブンスターに転向し、24、25くらいまでセブンスター(セッター)だった。

その頃、同級生のある男性が、アメリカンスピリット(アメスピ)を吸っていて、数本吸わせてもらって、少し高いが美味しいということを知った。

 

26くらいから完全にアメスピを吸うようになって、“煙草って本当に美味しいなぁ~”と感激していた。

1日1箱、毎日毎日、飽きもせずに吸いながら、教育活動における講師業と個人的な研究活動をちまちまと継続する日々であった。

 

・・・・・・だが、本日3日振りに煙草を、アメスピを吸ったのだが、衝撃的な事実に気づき、先ほどベランダで独りで「よぉー、こんなもん吸ってたな~!!」と呟いてしまった。

煙草って、こんなに不味かったか!?

吸っていて、頭がガンガンしてきて、身体から力が抜けて、フラフラしてくる。

煙草には鎮静作用があることは知っていたが、こんなに強力な鎮静作用があったのか?

身体の力がとにかく抜けて抜けて仕方がなくなる・・・・・・。

・・・・・・思わず、「これ、麻薬やないかぁ~!!」と心の中で叫びそうになった。

 

たった2日の禁煙生活を送り、水を常飲し、呆けた暮らしをここ数日していたのだが、どうもその間に私の身体が正常な方向へ傾いていたようだ。

今回、1本のみアメスピ、つまり煙草を吸って気づいてしまったが、煙草というものはやはり麻薬なのだということ。

  1. 強力な(肉体の)鎮静作用を持つ。
  2. 毎日吸うとお金がやたらと掛かる。
  3. 副流煙や臭いが他者に迷惑を掛ける。

とりあえず、上記の1を除き、2以降は思いつく限り今後挙げていっても、メリットはないだろう。

 

2については、例えば月収が15万円の人が、450円の煙草を1日1箱吸い続けると、年間月収の1/12を煙草に費やすことになる。

そして、これを約50年継続すると、750万円の出費となり、今後の値上げも考慮すると、1,000万円以上の出費となるからに、1,000万円あったら、もっと大きなものごとに使えそうな気もしないでもない。

であるからに、煙草を吸わない・嫌いな人からすれば、煙草吸っている人ってのは本当に莫迦なんじゃないか?と思えてならないだろう。

しかし、煙草を吸う私からすれば、正直、人生で1,000万円払ってでも、煙草はいいものだと思えるほど、快楽を齎してくれるのを知っている。

だからこそ、煙草は“麻薬”だと言えるのである!!

 

先ほど、1本を3日振りに吸ってみて、今まで吸ってきた煙草というものに対して、全く違った感覚を抱いてしまった。

この感覚が正常なのだから、やっぱり煙草は麻薬としかいいようがない。

ベランダで独り、真面目な顔をして呟いていた、「やめよう、煙草やめよう・・・・・・これ、麻薬だったんだ」と。

 

手術でモルヒネを使用した経験はないので、何とも言えないが、麻薬としての煙草の使用法としては、肉体の鎮静作用があるようなので、私の陰陽之研究からすれば、煙草の“味”を知っている精神的労働者(事務や学術系統の方々など)は吸いたくなって当然だと思う。

これについては、別の年配の方々も、「事務仕事ずっとしているような人は吸いたくなるだろうな」という会話を小耳に挟んだことがあり、それは一理ある。

しかし、案山子(かかし)である。

そもそも、煙草という麻薬を使ってでも精神的労働しなければならないような状態に、自分を追い込んではいけないのだと。

それほどまでにストレスが溜まっているならば、煙草でそれを安易に“誤魔化す”のではなく、適切な発散の仕方というものを身に付けておくほうが、経済的にも健康的にも、そしてマナー的にも十分に有意義ではなかろうか?

 

偉そうなことを述べて申し訳ない。

しかし、私は今日まで10年ほど煙草を吸い続けてきた人間なので、その経験を基にして、こちらに原稿を残して置きたいと強く思ったのである。

また、お酒に関しても同じだ。

私の現在の見解によると、お酒と煙草は裏の関係にあり、お酒はどちらかというと、肉体的労働をした時に飲みたくなるものだと思う。

お酒に含まれるアルコール(正確にはエタノールという;ちなみにメタノールは駄目ですよ!)は、肉体的労働をしたときに飲むと最高なのは知っているが、これもやっぱり麻薬の一種と考えられるからに、上手な付き合い方が必要だと思った。

 

『お酒も煙草も二十歳を過ぎてから・・・・・・』

 

というキャッチフレーズがある。

しかし、ふと今思うのは、出来ることならば二十歳が来る前に、お酒や煙草に安易に頼らないで、セルフケアの出来る、ストレスの解消(ここでは正確にいうと誤魔化しなのだが)の仕方というものを身に付けておくことは、その後の長い人生の道のりで大きなメリットがあるだろう。

医療や福祉などに従事している人間は、勿論のこと、それを知識としては知っているのであるが、やっぱり精神や肉体で覚えてしまった、お酒や煙草による快楽というものは、中々辞められるものではない。

しかし、それほどまでに辞めることが難しく、人生に損害を齎すものであるからに、これらは麻薬(に似ているもの)なのだと解釈すべきだと改めて思った。

 

お酒も煙草も個人で嗜む分には良いのでは、と今日までは思っていたが、やめられるならば今すぐにでも辞めた方がいいと初めて強く思えた。

私に大切な人々が居て、お酒や煙草に溺れているとするならば、「辞めろ!」とまでは、立場上一切言えないのだが、「辞めた方がいいことあるよ」とぜひとも勧めたい。

 

同時に、

  1. それらを辞めたら、具体的にどのように良いことがあるのか?
  2. それらに頼らずに、生活するにはどうしたらよいのか?
  3. (逆説的に、)それらとは結局、一体なんだったのか?

というようなことを、伝えられる人になれたらいいなと思えたりもする。(※今後の課題となりそう)

 

煙草はニコチン依存になっている状態では“美味しく”感じられる。

であるからに、私の経験上、“少しでも不味いと思ってしまったり、浅く吸うだけならば、その時点で一切吸わないこと”をお勧めしたい。

その状態は、煙草に依存しなくてもよい一般の状態で、仮に吸っていたとしても余裕で引き返せる段階に居るからだ。

 

このように、白黒付けられるものではないが、私は10年煙草を吸い続けてきて、およそ100万円以上の経済的損失等もしたので、煙草は“吸っている人だけに良い嗜好品”であって、一般の状態の人々にとっては百害あって一利なしであるといえる。

 

吸っている人には煙草の良さが分かる。

しかし、吸っていない人には全くそれが分からない。

快楽は幸福の必要条件だが、幸福は快楽の十分条件である。

転じて、煙草は快楽を齎すが、幸福は齎さないともいえるのだ。