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覚書き

小林陽太のブログ

母なる大地よ

 本日、とある古民家でのコンサートにお客さんとして訪ねた。東京芸術大学のご出身の方々の重唱を聞きに行くためにであった。

 お盆が過ぎたとはいえ、まだ真夏の最中であるからに、私は額に汗を滲ませていた。

 

 夏に因んだ有名な唱歌などを沢山聴かせてもらった。

 また、お話も幾つか聴かせてもらい、小学校などの校歌などは結構、有名人が作詞したものが多いということ。現在の私のお仕事で関わる小学校の校歌も、あの方が、というような人が作詞されていたので驚いた。

 

 

 コンサートのアンコールで、最後の曲が『大地讃頌』であった。

 私にとって、この曲は思い出の曲であり、中学時代の合唱祭で“お隣のクラス”が歌った合唱祭ではおなじみの名曲である。

 お隣のクラスが歌ったのに、何故思い出に残っているかといえば・・・、

  1. やはり合唱祭における名曲である点(非常に良くできている曲である点)
  2. あるクラスメイトが合唱祭で(私のクラスが)優勝できなかったことを問うていた点
  3. 優勝したお隣のクラスのチームワークや一体感が凄かった記憶の点

・・・などが挙げられる。

 しかし、このたびは別の視点から、思い出の曲となった。

 

 私は10年以上、自身の思想の研究をしているのだが、いわばその思想が天と地を扱う思想であり――古代中国を発端とした『陰陽論』という思想なのだが!――上述の①~③の点と絡み合って、尚且つ、あまりにも出来栄えの良い重唱だったために、思わずボロボロと涙がこぼれてしまった。

 何がそんなに私の中で響いたのか、それは勿論、あの独特の素晴らしいハーモニーということもあるが、そのハーモニーに乗って歌われている歌詞である。

母なる大地の懐に 我ら人の子の喜びはある

大地を愛せよ 大地に生きる人の子ら

人の子 その立つ土に感謝せよ

*1

  私は、中学生当時、この『大地讃頌』の良さは音楽的にしか分からなかった。いや、曲調も当時は好きではなかった方かも知れない。

 しかし、あれから年々、このような曲・・・それは“高みではなく深みがある”曲、曲調、和音、リズム・・・、そういったものの良さというものが分かるようになってきた。

 そして、歌詞である。この歌詞である。この歌詞にあるのだ!

 何と素晴らしい歌詞なのだろうか!・・・この歌詞の意味が、当時中学生の私には分からなかったのである。

 

 私は曲を聴くとき、歌詞というものの良さに気を止めることがなかった中学生であった。私を虜にしていた曲の良さは、上述のような、曲調、和音、リズム・・・といった構成にあったのであり、歌詞にはほとんど着目していなかったのである。

 実に私の性格が表れているなと今では思うのだが――それは、私が地に足のついていない人間だったからなのだが!――歌詞の大切さ、良さ、そういうものもあるのだなと最近ではつくづく感じている。

 


学年合唱♪ 『大地讃頌』 歌詞付き♪

 

 それにしても、この『大地讃頌』。もう何も指摘・改善するところが無いほどの素朴で人間的で、素直な歌詞の曲だ。

 どうして、このような歌詞を産むことができたのか?私は、それは大地のよさというのもそうだが、母なるものをもった人、それはそのような女性との付き合いの中で、この歌詞を作った男性が“(母性としての神を)悟ったから”だと思うのだ。

 そして、それを言葉にして、歌詞として音楽に乗せて記した。有り難いことだ。

 

 母なる大地も、父なる天空もどちらも大切なのであり、我々はその当たり前さにもっと感謝の言葉と表情を掛けることが大切ではなかろうかと、改めて反省したい。

 

*1:歌詞については冒頭のみ引用。全歌詞はこちらを参照。