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覚書き

小林陽太のブログ

差別や偏見のない未来

福祉 教育 プロフィールなど

 世の中には無知や偏見から生ずる様々な差別が存在する。それは古今東西、個人の苦悩に直結し、また人々のあらゆる葛藤の転嫁対象として、名目上災いの標的となってきた一面がある。西洋の魔女狩りだってそうだし、東洋の奴隷制度、日本の村八分、現代では子供の間ではいじめ、大人ではスケープゴート(生贄)というものもある。

 私は10代前半、「差別するな。差別するな」と言っていたことがある。自身が差別されていると感じていたからそのように言っていただけではなく、何かしらの使命感のようなものもありながら言っていた気もする。ただ、私は学生時代に大きな転校を経験しているので、転居先の同級生から外国人のような扱いされたがゆえの屈辱がそのような発言に繋がっていたのではないかと思うが、記憶が曖昧だ。

 ところで、本日は、頭痛を抱えながら地元のある講座に参加させて頂き、LGBTについて学習したので、そのお話をしよう。

 

 

 LGBTとはLesbian x Gay x Bisexuel x Transgenderの頭文字をとった造語である。詳しい内容については、Wikipediaでも参照してもらいたい。要はセクシャル・マイノリティ(セクマイ)、性的少数者と“とりあえず”言い換えれば、分かりやすいかも知れない。

 しかし、このセクマイの中の“同性愛者”(異性愛者の『ヘテロ』に対して、同性愛者は『ホモ』とかつては呼んでいたが、これは差別的なニュアンスを含むことがあるので注意)は、電通の調査によると人口の8%に相当するという。少なくとも、血液型がAB型の人、あるいは左利きの人と同じくらい存在しており、5%は確実に存在するという調査結果もあるという。実に多いとは思えないか?つまり、あなたの身近にも必ず存在しているはずである。

 『男の子なんだから、もっと強くなりなさい!』、『女の子なんだから、もっと大人しくしなさい』などなど、こんな言葉を投げかけられた経験を持つ人間は世の中に沢山居るのではないか?私も中学の委員会で「あんた、女みたいね!」と教師から言われて、泣きながら図書室を出て行ったこともある。よく省みてみれば、私は結構女性的な人間であり、CrossdresserあるいはTransvestiteな嗜好もある男だったなとも振り返る。要はそれは異性装のことである。自然といいなと思って、手に取ってしまう衣服が女物だったりしたことが沢山あるからだ。実際に、学生時代は女物のカットソーなどを着たりしていた。CA4LAの帽子も女物を購入したりしていたが、さすがに他人から見たら不自然だと思い、当時の彼女にお古で渡して処分した。当時は無理をして、男物の衣服を着るように努力し始めた頃であった。他にも色々とエピソードはあるが、このように私の性自認の話を掻い摘んだが、ここまでとしよう。

 

 ところで、Sex(身体・生物学的な性)、Gender(心・社会的な性)、 Sexual-Identity?(精神・志向する性?)と3つに階層を分けて、性別を定義するならば、多くの人はかなり自身の性自認について迷うことになるのではないか?

 それは、一つに性自認をするためには、それなりの経験を積んだ上で自己省察が出来ていないとならないし、もう一つは、いわばこの3つの階層で男・男・女、あるいは女・女・男となる純粋異性愛者?の方が少ないと思うからだ。ある統計ではそういう意味で純粋な異性愛者?は30%くらいとの文献を大学の図書館で読んだことがある。残りの60%が両性愛者で、最後の10%が同性愛者だと。

 しかし、この社会に忙しく生きていれば、自己省察などする暇もなく、あるいは刺激的な外的現実に慣れすぎて、Sex(身体・生物学的な性)でしか人間は触れ合えないと信じている人たちも存在する。肉体的な性的欲求は誰でもあるから、男♂なら女♀を欲してしまうのは当然だし、逆も然りだ。たかが凹凸、されど凸凹の問題である。それでも、長く付き合っているうちに、『相性』というものに気づくようになっていくはずだ。それが恐らく、Gender(心・社会的な性)、 Sexual-Identity?(精神・志向する性?)なのではなかろうか?最初はSex(身体・生物学的な性)から入ったのに、長く付き合うほどに、それらが重要になってくる。だから、『相性』という感覚で我々はその性を認識するようになっているのではないかということなのだ。

 

 LGBTの啓蒙による、現実存在、フロイト的な意味での性的存在としての我々の人権尊重への道は、生身の人間存在の次元的な把握(私の思想でいう三相三元による把握)の上で、無知と偏見からの解消には画期的である。各種人文学同様に、精神分析などにも十分に通じる可能性のある内容だ。それは、ある人文学の一分野としても現代、あるいは近未来の我々にとって重要な提起をしてくれるはずである。いわば「時代の視点」なのだ。

 それはきっと、人間をもっともっと好きにさせてくれる知見を我々に与えてくれるだろう。差別や偏見のない未来へのバトンを確実に繋ぐ役目をしてくれる視点であるからに、LGBTについての教養を持っていることは、あらゆる人間関係を『多様な性』という“グラデーション”を通して、より人間に対する高い理解と深い共感を得られる科学的、つまりは光明的な視点を持つことを我々に可能にさせると思われる。

 

(以上。頭痛のため文章が煩雑になっているのはご愛嬌)

 


McTucky Fried High エピソード1