覚書き

小林陽太Yohta_Kのエッセイ

哲学には赤ワインを添えて

 ーー3月末まで自衛隊と公務員を足して2で割ったようなお仕事をしていた私であるが、それを辞めてからも非常に贅沢なひとときを送らせてもらった。

 そして、最近になって無性に官能小説が何故か書きたくなり、ゆっくりと「書かせてもらって」いる。

 真面目にいうならば、いづれ向き合わざる終えないことだったのだと今更感じる。

 

 嗚呼、好きなこと(嫌いなこと)を主体※にこれからは生きてゆくと決めた。

 ※主体であって、副体は違うのだよ。(注意)

 

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 「官能小説なんて破廉恥な・・・・・・」とか、そもそもその存在を知ってはいたが、全く興味が無かった。(全然、私にはそれらが官能しなかったからである!)

 反対にエロ本の方が大好きなタイプだった。(これには、敏感に官能する!)

 それは私が男性で、更に外部体験の心的処理の方法が、言語によるものではなく映像によるものに一際偏っていたからだと思っている。

  

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  さて、余談はさておき、このたび私の長年の哲学研究における、用語と記号の定義を改めることにした。

 こちらに記載する例はその一部とするが、今後の分類・編集作業において重要となると思われるので、なるべく簡潔な事案とする。

 この聖俗、即ち神前における我々のあらゆる営みにおいて、例えるならば哲学とワインがそこに必要となるのであるが、ここではワイン、即ち女性視点ではなく、男性視点における哲学について着目。

 

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 まず、心理学者のユングC.G.Jungの提唱における、外向性External Stateにおける哲学を「持つための哲学Philosophy for Having」(記号Hp)、そして内向性 Internal Stateにおける「在るための哲学Philosophy for Being」(記号Bp)と定義したい。

 それで先ほど気づいたのだが、数理的命題としては、Bp→Hpらしいので、やはり哲学というものがどうも持つためというよりも在るために存在するようなのは間違いないだろう。(そして、特に死するために哲学は存在する)

 いわば、生死してゆく生命循環性に「あはれ」をみいだすならば、有してゆく生命循環性は「をかし」であらねばならず、それが有を生死が内包している証でありながらも、そこに不可逆的平衡が存在することが見える。

(但し、これを哲学ではなくワインの視点からみると鏡面的に反転をする可能性が高い)


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  次に、今年に入ってからの研究上での進展は以下。

  • 「聖俗」という用語の繊細な解釈。
  • 「祭政」と「恐怖」についての解釈。
  • 根本的視点における、裏表の解釈。(「蓮の華」と「金の泥」について)
  • 「鏡面的円循環構造」について。(対極図)
  • 「次元」とその鏡面図。(胎蔵界曼荼羅?)
  • 元原稿の大幅な改定。Ver.4.xx→Ver.5.xxへ。(5年目?)
  • 4つのパラメータと2つのベクトルで捉えていた点。即ちGauss plane的解釈。→最低6つのパラメータ と最低2つのベクトルで捉えなければならないという変更点。即ちHexagram?的解釈への変更。(現在最新)
  • 単純にいえば「人生」とは「哲学とワインとゆで卵」の3つがあればよいのだ。

 

ーー息抜きにも、官能小説執筆のつづきに入る。最近、出費が激しいのは情に飢えているから(Erotic Solitude)だと感じてる。(了)

Yohta KOBAYASHI (C) 2016-20XX