覚書き

小林陽太のブログ

ゼロポイントを忘れずに

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 むかし、24くらいの頃かな?

 初めて、正社員として勤務した会社があるんだけど、時給ではなくて月給というものを頂いていたときがあった。

 私は本当に馬鹿だから、お金を貯めるという考え方の出来ない人間で、その代わり、自分の興味関心に費やすという考え方(自己投資)を大学生時代から持つようになった。(まぁある同級生の影響なのだけども)

 それで、ちょうどその前頃から、自分の感性というか共感性能力に疑問を持っていたことがあって、いわゆるエンパシー(共感能力者)という奴だということを知った。

 大金ハタいて、そのエンパシーをコントロールしようという講座に出席するために、銀座まで足を運んでいた時期がある。

 また先日まで勤めてた、某元国営企業の同僚からも「○○君は、敏感すぎるのよ~」と言われていた。

  例えば、こんなことがある。

 駅の構内を歩いていて、普段は普通なんだけども、ある特定の時や場に来ると、急に重苦しい気持ちになったりする。

 あるいは会社のある特定の部屋だけ、妙に虚しい感じがするとか、学生時代に教室に居ると、何か見えない電波のようなものが飛び交っていて、それを大量に受信してしまい、気持ちが悪くなってきて、ずっとゲップが出てしまうとか。

 まぁ、そういうのは対策さえ取れば、序の口なのだけども、対人の場合はそうはいかない。

 

 例えば、対人の場合はこんなことがある。

 A君と接すると最近、妙に悲しい気持ちになってしまうとか。表向きのA君はニコニコと笑顔なのだけども、私の無意識的な反応では、凄く悲しい気持ちになるのである。

 あるいはBさんと接すると、妙にイライラしてしまうとか、ヤりたくなってしまうとか。(えっちな話)

 それって、別に対面していなくても、距離が離れていてもそう実感してしまうときがある。

 

 例えば、ふと自室でCさんのことが心に浮かんで来るというか、心の中から離れないというか、気づいたらCさんのことばかり気にしているとか。(私の場合はちょっと敏感すぎるのか、才能なのか、ベッドの中でうとうとして夜間になると、それが顕著に出てきて、不思議な体験を沢山したり)

 それで、それが本当に酷くなってくると、Cさんが心の中に棲みつくようになる。(経験上だが、持論では「心の中に棲みつくようになった女は本気だ」と最近思っている)

 もうこうなったら、四六時中、Cさんのことばかり考えてしまって手に着かなくなる。

 それで、Cさんのために何かしてあげなければならないと頭ではなく、本能的に思って実行したくなる。

 これってね、多分、現実の裏でヒトって繋がっているんだと。

 

 たぶん自分の心の中に居るヒトってのは、想ってくれているヒトのことなんだと想う、よくもわるくもだよ?

 だからね、心の中から誰も居なくなっちゃったら、人間って孤独というより心理的に孤立してしまって、自殺しちゃたりセルフネグレクトしてしまうんだと思う。

 

 想ってくれているヒトが多い人は幸せですよ。

 わかりやすく言えば、SNS上で「いいね!」をよくされるヒトは、色々な人々から想われていると思います。

 それで、この想うってのはね原理原則があって、河で例えるならば、想う側はいつも上流あるいは深みに居るんです。

 しかし、想われる側はいつも下流あるいは浅瀬に居るんです。

 もしね、あなたの心の中に沢山ヒトがいるならば、あなたはその沢山のヒトから想われています、何かソレは羨ましいものですが。(ちなみに想われていない側というか、想う側はリアルで責任者とか代表とか委員長とか、そういうのをさせられることが多いと察しています)

 だから、少々のことでもいつも護られている。そういうヒトは人生上手くいくと思います。

 で、この護ってくれるというのが徳というやつで、先祖代々徳がある家系に生まれてきたヒトは、まぁ私の見解だと、人生の半分はそれで成功する可能性が高いよね。残りの半分は自身がどれだけ徳を積んで、その後、その徳で自身を護りながら過ごせるかって所に関わってくる。

 だから、親の徳があって、なおかつ自身もしっかり徳を積んだヒトってのは、まぁ成功するはなと。

 成功にこだわらなくても、自身の交際範囲に徳ばかりあるヒトが多ければ、それも護られますから、成功するでしょう。※徳とかいうとアレなので、自立している私の部分といった方がいいかな?

 つまり、成功というのはどうも自助努力というより、他者扶助による部分が大きいのではないかと今では思いますよ。(だって、「いいね!」してくれる人たちがいなければ、成功できないじゃないの!つまり成功ってのは自身では実は外側で勝ち取れないものなんです。唯一勝ち取れるとするならば、自身の内側だけなのですね)

 

 さて、話が逸れましたが、今晩さっき、ちょっと出先から帰ってきて、自宅に着いてから妙に悲しい自分が居るんです。

 ん?と思って、内観しているんですが、この悲しみが誰の悲しみかまではわかりません。

 「いや、それはおまえ、今日おまえに悲しいことがあったから悲しんだろ?」

 っていいたくなるヒトもいるかと思いますが、私はかなり変わっていて、自身の内側で他者の気持ちを再現することができる人間でして、すぐに「疲れたな(意味深)」と気づく人間です。

 その気づきのためには、いったん自分を真っ白のゼロポイントに置いた経験がないとならない。

 一人旅に出て、山の頂上から下界の風景を見て、あはれな感動を抱くような、無心の境地になれるような、そういう瞬間が大切なのかも知れません。

 それで、家でまったりと独りきりの時と場、つまりソリチュードな孤独を味わえると、そのゼロポイントの高くて深い自身のシンプルな感覚を取り戻せます。

 この感覚を決して忘れずにしてから、ヒトと対面してみてください。

 そのときに、その相手に抱いた内側での第一印象が、おそらく相手のこころそのものだと今では思えます。

 

 最後になりましたが、大切なことを記して終わりにします。

 表(外側;リアル)であなたと、岩のように関わってくるヒトは、あなたに欲情をしているヒトです。

 裏(内側;ドリーム)であなたと、風のように関わってくるヒトは、あなたを思いやっているヒトです。

 

 一般的な情愛の表現は、形や質にして表現されます。

 それは、キスやハグ、言葉や笑顔などにて表現されます。

 しかし、真の意味での本当の情愛の表現は、本人に気づかれることなくさりげなく裏で行われるところがあります。

 いわば、この二つが親と子の情愛表現の違いです。

 色で言うならば、紫(おもいやり)か紅(欲情)かといった点にあるかもしれません。

 

 欲情は決してあなたを失いたくないという「後悔」の心情に似ていて、必ず直接的に示されます。

 それは、相手のためではなく自己のために行われるという相手不在の盲目的かつ自己中心的な一面があります。

 おもいやりはあなたのために在りたいという「恩寵」の心境に似ていて、それはさりげなく間接的に示されます。

 それは、自己のためではなく相手のために謙遜するという自己不在の明晰かつ他者中心的な一面があります。

 

 ですので、これを応用すれば自身の「強い私」と「弱い私」、即ち「恩寵する私」と「後悔する私」が見えてくるはずなのです。