覚書き

小林陽太Yohta_Kのエッセイ

デジタル家畜化②

 シゴトが急遽休みで、地元のある店に行って小一時間ほど話し込み。
 その後、ある有名な方の本を読み終えて、帰路に着く際に色々と腑に落ちない何かについて思慮を巡らせていた。

 


ASIAN KUNG-FU GENERATION/君という花(kimi to iu hana)-live-

君という花 ASIAN KUNG-FU GENERATION 歌詞情報 - うたまっぷ 歌詞無料検索

(今回の記事の前兆となるような以前の曲です♪)

 

 前回のおさらい

 前回の記事はこちら。

 

chisana-taiyo.hatenablog.com

  要約すると“情報化社会の中でも古典的な技術や知恵などを侮らないよう”というお話だった。
 日進月歩の目覚しい、この利便性重視の現社会において、失われてきた部分に何かあるのではないかという着眼だ。

 

「何いってんだよ。この競争社会の中で、寝言いってんじゃないよ」

 

なんていう言葉が聞こえてきそうだが、ときに辛辣な言葉を吐けるのも、ある意味での余裕の表れだ。
 この社会がどういう成り立ちで、どうやって動いて、どうやって人々が暮らしてゆけているのかということを等閑(なおざり)にすることは、その失われてきた部分に近しい何かに本来見出せる。

 今日は、そんな何かを脇に置き、これからの未来社会を見据えた記事を綴る。

 

スマホなしでは暮らせない!

 ところで、東京タワーが建ったとき、恐らく日本中が沸いたのではないかと思うが、スカイツリーが建ったときに、東京タワーのときと同じように沸いたのかというと、それほどでもなかったのではないかと思われる。
 右向け右の時代の名残はあるにせよ、今ではお茶の間に家族全員が集まって、同じ時と同じ場で同じ放送を視るというような習慣も減ってきたのではないか?
 今ではひとり一人の時間軸と空間軸がバラバラ、それは例えば(IT業者による)光速通信網や格安航空やバスなどの普及によって、人々の志向するベクトルも乱雑極まりない。
 それぞれひとり一人が何に忙しいのか分からないが、皆スマホ片手にそのタッチ入力も忙しい。
 
 一方、先ほどからではあるが、某掲示板にて次のようなアンケートを採っている。

 

「もし無人島で暮らすことになったら、次のうち持ってゆかねばならないのはどれですか?」

  1. 自給自足するための道具
  2. 可愛いペット
  3. スマホ
  4. 伴侶(パートナー)

 

 現時点での回答として、一番多かったのは“スマホ”であった。
 約2人に1人がスマホに投票していたのである。
 この掲示板は比較的若者が多いので、若者の認識としてスマホが生活の要になっているということが恐らく伺えるのではないかと思われる。
 某有名人も、スマホさえあれば仕事は大方できると述べていた。

 

 私は実はこの結果に、ゾッとしてしまった。
 スマホさえあれば暮らしてゆけるというのは、ゾッとしてしまった。
 何にゾッとしたのかは、それはそれは色々なのであるが、ただただゾッとした。(その一つの理由としては、前回の記事に載っているので読み返してもらいたい)

 

再びデジタル家畜化

 私はどちらかというと、デジタルが好きな方だ。
 だから、世の中のデジタル化(ここではAI・ロボット・機械化)が進むことは望ましいとは思っている。
 ある有名な方も仰っているが、“人は好きなことだけをして、あとはAIに任せておけばいい”みたいな発言がある。
 これに関しては全面的に賛成するしかない(何故なら、未来社会は間違いなくそうなっていると思われるから)。

 

 しかし、それらAI・ロボット・機械は基本的に電気に依存し、合理的に働いてくれる典型例であるが、人間の生命というものは“電気”や“合理性”で成り立つものではないと思っている部分も大きい。
 勿論、筋肉がある電気信号によってその収縮と弛緩をするということなどは知っているし、人間の本質と存在が、合理性の部分で一部形成されているというのも知っている。
 だが、何か腑に落ちない、腑に落ちないと思えてしまうのは、その合理性ではない“非合理性”の部分の私が“No!”と言っているからなのである。

 

 例えば、肉体の健康を保つために、AIにその健康を管理させて、指示に従ったら、完全に健康になったという逸話がある。
 しかし、好きな人が振り向いてくれるかどうかや、好きな人が何故好きなのか?などという理由など、言葉で説明できないものではないか?
 いや寧ろそれを説明できたとしても、人間はきっと言葉とはチグハグな結果を求めたりするものである。
 また、福祉業界で○○という介護用ロボットが国のお墨付で導入されているようなのだが、そのロボットを通して老人は癒されるというもので、実際に活躍しているらしい。(私は思わず「おぃ、老人を馬鹿にしてんのか!」と言いたくなったのを昨日のことのように覚えてる)

 

 話がぶれてきたが、デジタル化されればある意味で“現実生活”は便利になる。
 それで余った時間で、楽しいことをしたいというのはよく分かる。
 それは言い換えれば、人間が“生きて死ぬだけの生命”となるということだ。
 詰まるところ、私がデジタルに対して恐怖する部分はそこなのだ。
 例えるならば「お父さんはATMで、お母さんはコンビニです」みたいな時代になってしまったとするならば、それはそれは本当にゾッとするしかないのである。


人類の二極化とその未来

 この日本という国の象徴的人物に纏わる、ある身近なエピソードがある。

 

 「あぁ、○○はロボットでいいっしょ」

 

 私はこれを聴いたときに、ゾッと、いや恐怖するしかなかった。
 デジタル家畜化のおそろしさとは、そういう人々の気味の悪さの中に見出せる気がした。

 今後恐らく、100年単位で人類は二極化してゆく。
 一つは、デジタル家畜化されたホログラムのような社会の中でただただ人生を完結させてゆく人々。
 もう一つは、デジタル家畜化された人類と距離を空けながらも、古典的かつ新人類的に人生を歩んでゆく(デジタル家畜化を進める)人々。

 

 ・・・うまく言えない。
 ただ、答えはもうみえている。

 キーワードは、人それぞれでしょうけども。了

 

今日の一句

「え?スカイツリーのどこがいいの?嗚呼(ドブ)川がある!嬉」(あるアフリカの民族の夫婦)

Yohta KOBAYASHI (C) 2016-20XX