覚書き

小林陽太のブログ(日曜日更新)

愛情と同情について

愛情は強さ、同情は優しさ。

 


Fishmans いかれたBaby 1993

(昔好きだった曲。人はいつでも、みえない力が必要だったりしてるから……♪)

 

愛情は強さ、同情は優しさ。

愛情は技術や知恵、そしてそれらを経験させるための行動にある。
同情は関心、そしてそれを経験するための内観にある。

社会的に生きてゆく人として魅力的なのは愛情のある人。
人間的に死んでゆく人として魅力的なのは同情のある人。

愛情は遊ぶ人にしか出来ないこと。
同情は学ぶ人にしか出来ないこと。

愛情が強くある人は輝いている。
同情が強くある人は年寄り臭い。

愛情は外向的で、相手に向く気持ち。
同情は内向的で、自分に向く気持ち。

愛情は経済社会で求められ、対価や評価でそれを返される。
同情は信仰ある人々から求められ、無償の思いやりとしてそれを返される。

愛情は本来、表のリアルをよりよきものに変えてゆく。
同情はリアルを変えられはしないが、人々の内面のより所である。

ロボットには愛情の模倣が出来る。
人間には同情の模倣が出来る。

愛情は欲望に従い、その究極の目的と空気は自己保存にある。
同情は本能に従い、その極みとして神へ至る道にある。

愛情の気持ちとは、私の楽しさ。(非愛情は私の楽しさのなさへの固執
同情の気持ちとは、私の正しくなさ。(非同情は私の正しさへの固執

愛するということ(性愛するということ)は生きてゆくということ。
それが愛情であり、楽しくて、最後に虚しさへ至るということ。
思いやるということは死んでゆくということ。
それが同情であり、苦しくて、最後には正しさへ至るということ。

愛情の本質と存在とは恐怖を忘れさせてくれる楽しさにある。
同情の本質と存在とは恐怖を抜いてくれる正しさにある。

愛情は聖俗から始まり恐怖に終わる。
それはつまり、それに在り、与え、欲するに至る道。
同情は恐怖から始まり聖俗に終わる。
それはつまり、それに在り、得て、欲するに至る道。

激しい愛情は互いの性愛を欲しあう。
即ち、それは生の極みの有。
それは裏を返せば、最も死にたくないという想い。
そこから子が生まれてくる。
穏やかな同情は自己の形質を欲する。
即ち、それは死の極みの無。
それは裏を返せば、最も生きたくないという想い。
そこに親が死んでゆく。

死にたい死にたいと思うのは愛情を持って生きてきたから。
生きたい生きたいと思うのは同情を抱いて死んできたから。

リアルでよしとされるのは愛情。
その裏でよしとされるのは同情。

同情の経験とは天と地。
愛情の経験とはその間に煌めく一瞬一瞬の火花。
同情という裏からの支えあって、愛情を繰り広げる機会に恵まれている。
リアルの人間は、そういったみえない力を必要として暮らしてることを忘れている。

Yohta KOBAYASHI (C) 2016-20XX