覚書き

小林陽太Yohta_Kのエッセイ

ストーカー

役所で手続きするために、久々に外に出て運動をした。

日が暮れるのも、あっという間という季節となった。


美輪明宏さん 「愛の賛歌」

(これには、強烈な印象をもっています♪)

ストーカー

過去に何度かストーカー被害にあったことが私はある。

詳しいことは書かないが、1人目は学生時代、2人目は社会人時代、3人目は……である。

私は男性なので、いづれもそれは女性であり、なかなか怖い経験をしたかなと今では振り返っている。

ストーカーは必ず自他のことがみえきこえていない。

自分の中のその人像を勝手に作り上げ、それを元にストーキングする。

 

よくよく考えてみれば、そういう妄想は誰だって一度や二度は初対面の人間などにしてしまうものだ。

むしろ、そういう妄想をしているときの方が楽しいもので、妄想に技術や知恵が伴えば、創作活動にも応用できるし、そこに分類や実験、観察等があれば、学問として通用する可能性だってある。

しかし、その妄想を元にリアルに洗練されていない様式でアクションを示してくるというのは、ちょっと病的な感じがしてしまう。

もちろんのこと、そんなことを言っている私がそのようなアクションをしたことがないかといえば嘘になるし、そういう『恋は盲目(争いは難聴)』のような状態こそが、当人にとっての華であることは間違いない。

アイドルのファンだって、みんなそういう妄想を通して、ファンになっているわけだから、むしろそれを売りにしているわけだから、一概に妄想が悪いというわけでもない。

 

ただ、ストーカーに欠如しているのは自己の内面を照らす視点、つまり内観だ。

 

人を好きになること

人が人を好きになることは、自然なことだと私は思う。

しかし、好きにもどうも3種類くらいあるような気がしてならない。

「欲する」好き、「与える」好き、「在る」好きの3つだ。

好きな人を欲するのか、好きな人のために与えたいのか、好きな人のために在りたいのか、この3つは同じ好きでも全く異なるものである。

そして往々にして、ストーカー加害者の好きは、最初の「欲する」好きである。

この「欲する」好きは、別名、甘えと呼ばれるものであり、その甘えが満たされなくなると、恨みに転じる怖い、恐いものでもある。

ストーカー加害者は最初からなんらかの執着(自覚できていない悩み)を持っており、その執着に沿った甘えを満たしてくれる人にストーキングするのではないか。

その甘えが今度は恨みに転じると、嫌がらせが始まってゆく。

嫌がらせはまるで駄々を捏ねるこどものようなものから、事件性のものまで様々ではあるが、共通していることは、やはり相手のことがみえきこえていないということである。

相手を通して、自分の執着と向き合っているだけなのだ。

相手をきっかけとして、勝手に自分で相手を、時に自分自身を恨んでいるだけなのだ。

だから、ストーカーというのは本当は憐れな人といえるのかも知れない。

 

人間臭さ

こちらの本を取り寄せて、先日から読み始めていた。

 

「ストーカー」は何を考えているか (新潮新書)

「ストーカー」は何を考えているか (新潮新書)

 

 

ここに出てくる事例には、実に様々な立場や職業の人たちばかりが登場する。

一様に共通しているのは、みな「幸せではない」ということ、あるいはみなを「幸せにすることはない」ということである。

色んな事例が書いてあるが、私はそれを読んでいて妙な「人間臭さ」というものを覚えてしまった。

それは決して、褒められた「人間らしさ」ではないが、一人ひとりみな悩みや苦しみを抱いているということ。

また、ストーカー加害者あるいは被害者として、トラブルに巻き込まれてゆく様は、実に「人間らしい」、あるいは「人間臭い」ドラマのように思えた。

ストーキングという物事は、決してポジティブな人間関係ではない。

しかし、仮にそれがネガティブなかたちであっても、お互いを求め合う、必要としあうという人間の様式そのものは決して失われることがないのが見て取れる。

そして、ストーキングという物事を通して、人間の闇ーーそれは弱さ、孤立、否認、哀しみなどーーを照らす一条の光に、真理を見出すのもあながち嘘ではない。

 

ストーキングという物事を通して、人間の哀しい真理に気づくことは、何度もいうようにポジティブな姿勢ではないが、忘れ去っているこどもの頃の傷に気づくようなものである。

それはきっと、ストーカー加害者とストーカー被害者の両者の間に横たわるなんらかの大切な大切な傷跡、人の哀しみとしての、あるいは人間臭さとしての負(ネガティブ)の絆なのだと今では思える。

結局のところ、人と人がリアルに結びつくというのは、多かれ少なかれ、そこに何らかの自覚でき得ぬ傷跡(カルマ)を共有しているからに違いないのであろう。

 

今日の一句

「学(内観)無き純粋さは破滅を呼ぶ」(詠み人知らず)

Yohta KOBAYASHI (C) 2016-20XX