覚書き

小林陽太Yohta_Kのエッセイ

夫婦のお話

ここ数日、本当に冷え冷えとするような冬晴れが続いております。

先日は夜中の雨ののちに、路面の凍結が目立ちましたが、徒歩で出勤すべきだったかなと、後で反省しました。

仕事中に悴んだ(かじかんだ)手を、絞った雑巾を、その冬晴れの元で所定の場に干すたびに、あぁ太陽ってのは何でいつも昼間を照らしているのかな?と残念に思えてなりません。

 

今日は、「夫婦のお話」をひとつ。

夫婦のお話

 

【注意】

これは、ブログに書くつもりはなかったので、簡易的に以下書きます。

 

男は本当に馬鹿で陽気なことで、女は本当に糞で陰気なものなのだとは知ってはいても、すぐに忘れて分からず仕舞いなのが多いものです。

ましてや、独身の男や女というものは、その溝が益々深まって、その男は馬鹿へ、そしてその女は糞へと陥ってしまうものなのかも知れません。

「男の人って、女の人と結婚しないと、すぐに死んじゃうんだよ」

と、昔年少の者から言われたことがあり、それはそうだなと半ば直観したものであります。

 

ところで、夫婦というのはそもそも何なのかということなのですが、これは婚姻というものについて考えなければならない。

その発祥は、一重に世界各地にみられるものですが、世界的に有名なのは古代中国の皇帝、伏義による思想が始まりだと聴いたことがあります。

いわば、これが私の長年研究してきた「陰陽論」の発祥に繋がってくる訳ですが、我々日本人の身近なところでは、「易」やおそらく「干支」というものがそれに大いに関わって参ります。

戦前(WWⅠ・Ⅱ前)の日本では、実に一般的なもので、皇室もこれを大いに利用していたそうであります。

 

余談はさておき、これはブログで書くつもりはありませんでしたが、その一端だけを述べますと、

 

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となります。

これは『古事記』を綴ったと云われている、伝説上の存在、稗田阿礼(ひえだのあれ;性別不明)が神話として遺している話に繋がってきます。

あの神話の中で言う、天照大御神とは上図のエロスに相当すると私は踏んでいます。

神話という形で阿礼は遺したわけですが、余りにも意味不明なので、その解釈は幾多にも過去及んだと思われます。

しかし実際の所、完全な男性視点即ち、言語的解釈ではなく(理系;時間源の視点から)映像的解釈をした場合、上図のようになると私は踏んでいるのです。

 

詳しいことは、このブログではもう述べませんが、夫婦というものは七夕に聴くような、『織姫』と『彦星』のようなものです。

そして、それは刑法や民法でも決して裁くことの出来ない領域であり、神法の関与する領域でありますからに、言語や映像では解釈することは出来ません。

 

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(写真は岩戸の中)

 

【追伸】

本当はこの話はするつもりはなかった。答えを教えても意味がないからです。(いろいろと私の経験知から書き殴っただけであり、男性視点から書いたものであります)

 

(書籍原稿用のエッセイを書き溜めしよう。今日仕事中にふと思い立った☆)

Yohta KOBAYASHI (C) 2016-20XX